2007/11/09

人間の作る、かたち

この稿での90度に関する考察が非常に興味深い。確かに、90度という角度は最も人間的な角度であり、自然界で見ることは少ない。なぜ人間が90度にこだわるのか。2つほど思いつく理由がある。1つは、物理学、力学、数学等、人間が築いてきた理論体系が90度、つまり直交座標系に則っているからではないだろうか。要は人間がイメージしたり把握したりするのに最も易しい座標空間なのだろう。なぜ把握しやすいのかという点までは考えが至らない。ただ、地理認識は4方位に依拠しているので、緩いカーブや複雑な交差点では混乱してしまう。4方位以上は把握しきれないのだろう。もう1つは、その形(長方形)でその拡大した形を敷き詰められるということ。逆に言えばある形を分割しても同じ形であるということ。なおかつその分割線が貫通している。これは三角形も該当する。例えば紙を製造して無駄なく使うというときにこのルールは合理的である。あるいは都市を作るときにも有意である。平城京や平安京がその最たる例だ。紙で言えば、1:√2という比率の紙の長辺を半分に分割してできた2枚の紙も1:√2である。現像写真のサイズ、A4、B5といった印刷用紙の規格がほぼこれに則っているのはよく知られている。

建物も人間が作るものなので、90度のものが多い。そのほとんどといって良いだろう。これも同じく人間の理解や把握に基づいて90度である。古代、レンガのような組積造の壁に開口を穿つために、その上部、両側のレンガを少しずつせり出して成立させていた。まだアーチという技術のない時代である。アーチやドーム、ヴォールト(半円筒形の屋根)といった、90度直交座標にとらわれない合理的な構造も多く生まれ、普及した。だが、それらは特殊な要求(橋、無柱大空間の屋根など)を達成するときにこそ用いられるが四角い建物の方が圧倒的に多い。また今でも四角にとらわれない建築の形態や空間を前衛的な建築デザイナーが模索、提案している。それは例えば自然界に着想を得た、力学的に合理的なものであったり、柔らかな曲面で空間を構成することによりかつてないような空間体験を生むものであったりと様々である。ただそれはあくまで「四角が全てではない」というカウンターカルチャー的スタンスのものとして今後も居座るのだろう。今も昔も変わらず90度こそ人間的な角度であり、四角こそ人間的な形なのだ。

3 件のコメント:

hirottyan さんのコメント...

ううん、考え始めるととても面白いテーマ。現時点での私の結論(仮説)は「360÷2÷2=90」です。
始原の時代、「所有」という社会意識が人間に生じるやいなや、彼らにはものを「とりあえず2つに分ける」差し迫った必要が出てきたはずです。
なぜ3でなく4でもなく2なのか。ここからは文化人類学的な考察になりますが、一時的にABCと3つに分かれたとして、今仮にCが2者に対して劣位になったとします。AとBは必ずやそれぞれがCを自分の下に取り込もうと働きます。理由は自分が相手(AまたはB)に対して優位に立つためです。このようにしてCはどちらかに取り込まれ、一時的には3になったものがいつの間にかまた2に戻ります。
ではなぜABは2のままで1に統一されないのか。これは、今展開している仮説よりさらに荒っぽいものですが「神の知恵、天の自然」として1者独占でなく拮抗対立する2者が配在されているのではないかと思えます。誰かが「一人勝ち」しているとそれを脅かす敵対者が現れて力が均衡する。崩れる、また別の者が現れて均衡する。
何だか90度の話から随分かけ離れてきた気もしますが、要はまず「2」というものがあり、その2で割る(2分割する)ということです。平面を2で割るなら180度、その延長で180を2分割すると90度という仮説になりました。

ここまで書いてきて、ふと空恐ろしくなりました。私の会社の取締役は4名。これがいつか2に収束していって・・・なんて。ま、それを回避するのが「後付け」ではありますが「近代的知性」というものかも知れません。
ホント、いつも普遍を敷衍、夢想させてくれる「いいお題」をありがとう。

gilson さんのコメント...

毎度,絶妙な"返し"をありがとうございます。視野が広がるような感じがします。
90度の話とは関係なくなりますが,2者並存,2者対立という構図は最も自然な状況,かつ理想的なあり方のような気がします。「1者独裁」の持続がもたらすのは腐敗でしかないと思うからです。人間も含め,生物の遺伝子に組み込まれた,闘争本能というのはそのために存在するのかもしれませんね。

hirottyan さんのコメント...

ZORGのスライドはいい味わいです。ドラマ性があります。