2007/09/28

旅とは

9月某日、10時発の近鉄特急に乗って帰省。名駅へは余裕を持って市バスで向かう。コンコース内の書店で文庫本を物色、1冊を購入。コンコースやホームはターミナル特有の趣がある。行き交う人であふれるが、誰一人としてその場所にとどまってはいない。改札を抜けホームへ行き特急の到着を待つ。やがてアナウンスを伴って特急が入線する。車体の正面が減速しながら近づき、待つ人々を舐めながらホームの奥で止まる。その特急で大阪までは約2時間。文庫本を読んだり、車窓を流れる景色をぼんやり眺めたり、他愛もない考え事をしたり。この間のルートは山間部を多く通るため、杉が多く植わった山などの濃い緑をよく目にする。大阪でバスに乗り換えるが、バスターミナルまでは地下鉄を使う。地下鉄はいわば市民の足。聞こえてくる言葉も含め、どこかローカルな空気が漂っている。日常的に乗っている人の目には、gilsonもstrangerとして映るのだろうか?と妄想めいたことを考えながらホームへ降りる。バスの発車までに簡単に昼食を済ませて、ターミナルで乗車券を買う。13時、定刻どおりバスが出発。今日の乗客は中高年の人が多い。「~けん。」、「~しよわい。」など、バス内はすでに海を渡った向こうの雰囲気がある。バスはさらに神戸で客を乗せ、湾岸部を走る。この先の2つの橋など海がよく見える車窓は、先ほどの特急とは対照的だ。車中、特急の中と同じように過ごした。1冊読み終え、少ししてからgilsonが降りる停留所に着いた。18時前、いつもなら日もすでに暮れて薄暗くなってから停留所に着くと記憶していたが、まだ日は西の低い位置にあった。まださほど日が短くないということか。6時のチャイムを懐かしみながら、家路についた。

物事には始まりと終わりがある。それは普通、旅についても同じである。その始まりと終わりは、往路と復路とすることも出来るだろう。旅とは、ある限定された時間を日常とはかけ離れた空間で過ごすことであると考える。旅の中で、始まりと終わりは特に重要な意味合いがあると思っている。旅を図(=figure)、日常を地(=ground)としたとき、往路と復路は図と地の境界とできる。往復の時間が長いほど、あるいははっきりしているほど、旅の経験は非日常として強く意識される。往路をたどる時間は、期待感や高揚感で演出される。復路はその旅を振り返るようにして日常へ戻っていく。建築や空間のアプローチもそういった期待感や高揚感をデザインしているように思う。建築のスケールを超えているが、往路と復路の演出の良い例は、瀬戸内海に浮かぶアートの島、直島へのアクセスだろう。どんな交通手段をとろうとも最終的には、宇野あるいは高松からフェリーに乗って直島へ向かう。本州に暮らす人も四国に暮らす人も、自分の日常と陸続きでない場所である。そのアプローチの特異さもあいまって直島での体験は特別なものとなる。

2~3時間で帰省できる人たちが、帰省をどうとらえているかは知らない。しかし少なくともgilsonは、次のように感じている。すでに日常ではなくなったはずの実家での生活が、それまで当然存在していたかのように横たわっている。今日来たはずなのに、昨日までもそこにいたかのような感覚。そして自分は18歳の頃のままである。もう1つの日常をなぞっているような気分。

帰省の帰り、そんなことを考えていた。

2007/09/26

通学時のシークエンス(転記)

朝は授業開始の10~15分前に家を出て自転車で通学。
夾竹桃の垣根沿いに坂を上り、大学の西側出入口から入るが、特に1限前は歩行者と自転車しか入れない狭い入り口に自転車の列(数台)ができる。そこから敷地に入ると幅2~3m程度の通路があり、その左側にイチョウ並木が40~50m続く。イチョウの奥の10mほど下がったところに付属高校のグラウンドがあり、帰宅時はよく部活動をやっているのが見える。イチョウ並木を抜けると幅10m程度の車も通る交差点に差し掛かり、その南側の全学棟を目指す多くの1、2年生とすれ違う。彼らの若さがまばゆいと感じるのはgilsonだけでないはず。その交差点を左に曲がり、1.5m程度高くなったグラウンド(3グリ)を右に眺めつつ、東西に通るグリーンベルトの北側に出る。そしてグリーンベルト沿いに東へ向かうが、このあたりは工学部の建物が立ち並んでいるためか、男ばかりで「ムサい」印象を受ける。逆にグリーンベルトの南側は1,2年生や文系の学生が多くアウェー感があるので、いつも回避している。今の時期グリーンベルトの両脇の道は、左右の常緑樹と落葉樹の色の対比が美しい。グリーンベルト沿いに直進すると大学の敷地を貫く公道に突き当たる。それを超えると4号館に着く。

イチョウ並木などは学内でもいいなと思える場所の1つだ。他には公道の東側の地区の森々した雰囲気も結構気に入っている。5号館の教室の窓でトリミングされる木々には癒される。丘陵地帯を整地して作られたキャンパスなので学内やその周辺でアップダウンが激しいのはあまりいただけないが、日々季節の変化を感じられるのはありがたい。

2007/09/25

イタリア旅行記(転記)

2006年9月のイタリア旅行を振り返って2007年1月に寄稿したもの。

■ミラノ■
ここでの観光の目玉はやはりガレリアとドゥオモ。特にドゥオモは、イタリアでは少ないゴシック様式。あまりの大きさに圧倒された。内部は少し暗くてひんやりとしている。帰国後講義で学んだことだが、ミラノのドゥオモは、英・仏に良く見られる典型的なゴシック建築とは違い身廊部・側廊部に一体的な山型の屋根がかけられている。これによりクリアストーリーのような高窓がないため、今のような電気照明がなかった時代は、長堂の交差部の明るさが際立っていただろう。
 
■ヴェネツィア■
水の都ヴェネツィアは今回の旅行でgilsonが一番気に入った場所。一言で言えば、「歩いていて(またはゴンドラで遊覧していて)飽きない街」だと思う。地図を見れば明らかだがこの水上都市は全体が画一的にコントロールされることなくそれぞれの部分で適宜手が加えられた。その結果、この街は部分の集合として有機的な形態を持つ街となり、その景観もヒューマンスケールで魅力的なものとなっている。景観としてこの街をより印象的にしているのは、街に網目のようにめぐらされた小運河、つまり水辺空間の充実だと思う。3・4階建ての建物に挟まれた狭い路地を歩いていると、不意に反り橋が現れる。その下に横たわる小運河と左右の広がりが与える変化が心地よい。逆にゴンドラに乗っているときは、ゲートのように反り橋をくぐり、自分がたどるライン(パス)と、たどらないライン(エッジ)が逆転する。この、パスとエッジの逆転はとても面白かった。さらに、ヴェネツィアでヒューマンスケールの街並みと対照をなすのは、サン・マルコ広場と大運河である。この大小の空間の対比・遷移が、それぞれの空間体験をより印象的なものにする。
 
■フィレンツェ■
ここは求心的なドゥオモと市庁舎・それに付随する広場が主骨格をなす、西洋の典型的な街である。しかし、ここはなんといってもルネサンスが花開いた街。ドゥオモもミラノのものと比べると華やかである。色彩も・フレスコ画もゴシックにはない特徴である。さらに、このドゥオモのドームの架構を考えたブルネレスキには感心する。直径45mのドームを実現するための構造・構法はそう簡単なものではない。推力をたがで閉めるというのも今では一般的だが当時としては画期的なものであっただろう。フィレンツェは、市街地から離れた丘の上のミケランジェロ広場からの眺望が抜群だった。テラコッタの赤で統一された街中の屋根、建て揃った家屋の中の中のドゥオモやヴェッキオ宮、アルノ川とそれにかかる橋々が景色のアクセントとなっている。
 
■ローマ■
ローマでは、ツアー中唯一の自由観光が半日ほどあった。そこで、数ある行きたい場所のうち、実現性なども考慮して、カンピドリオ広場・パンテオン・ナヴォナ広場へ行くことにした。ローマ三越からすべて歩いて回り、帰りはタクシーでホテルへ向った。ローマの街路はほとんどグリッド状になっていないので、散策しづらいのではという懸念もあったが、比較的すんなりとそれぞれの目的地にたどり着けた。というのも、今のローマのベースとなっている16世紀の都市改造があったから。当時の教皇シクトゥス5世は、バシリカをまわる巡礼路として放射状街路で広場などをつなぎ、広場の中央にはオベリスクを置いた。この放射状街路とオベリスクのおかげで、目的地へは経由地点を設定し、地点間の直線的移動でおおよそたどり着けた。楔形平面のカンピドリオ広場のタイル・パンテオンの内部空間のプロポーション・狭い路地に突如現れる、ナヴォナ広場の穏やかな雰囲気も良かった。
 
■カプリ■
ここはなんといっても青の洞窟。狭い入り口から差し込む光が水中で乱反射して、青く幻想的な雰囲気になる。状況によっては、洞窟の目の前まで来て中に入れないということも多々あるようなのでラッキーだった。カプリ島の斜面を這うように建っている家々や、スローで陽気な雰囲気も気持ちがよかった。

■ヴァチカン■
午後には帰国の途につくので、午前中だけの観光。ヴァチカン博物館に並び、システィーナ礼拝堂を見学した。個人的にはサンピエトロ大聖堂と広場の方が良かった。システィーナ礼拝堂は質素な外観とは対照的な壁画・天井画の装飾。約21mの天井高はコンクラーベなどの用途からすれば高すぎると思ったが、それよりもカトリックにおける教皇やコンクラーベの重要性や権威を考えると当然なのかもしれない。
 
 
全体を通じてつくづく思ったのは、どの街も永年の歴史を経てきた建築などのストックが日本に比べてあまりに多いということ。また、今も各々が使われ続けているというのが感心する。それまでの歴史の蓄積としての都市の姿は、景観を豊かに彩る。ストックの充実が街をより魅力的にしていると思った。

開設にあたって。

これまで約2年間、他のブログを運営していた。
しかし、その時に書きたい内容を、形式も
統一せずに 書いていたがために、一貫性や
まとまりのない logとなってしまった。

その反省を踏まえ、このweblogではその内容を
エッセイのようなある程度まとまった量の文章に
限定することで、形式にまとまりを与えることを
試みる。

また、gilsonの文章を書く練習も兼ねている。