2007/09/25

イタリア旅行記(転記)

2006年9月のイタリア旅行を振り返って2007年1月に寄稿したもの。

■ミラノ■
ここでの観光の目玉はやはりガレリアとドゥオモ。特にドゥオモは、イタリアでは少ないゴシック様式。あまりの大きさに圧倒された。内部は少し暗くてひんやりとしている。帰国後講義で学んだことだが、ミラノのドゥオモは、英・仏に良く見られる典型的なゴシック建築とは違い身廊部・側廊部に一体的な山型の屋根がかけられている。これによりクリアストーリーのような高窓がないため、今のような電気照明がなかった時代は、長堂の交差部の明るさが際立っていただろう。
 
■ヴェネツィア■
水の都ヴェネツィアは今回の旅行でgilsonが一番気に入った場所。一言で言えば、「歩いていて(またはゴンドラで遊覧していて)飽きない街」だと思う。地図を見れば明らかだがこの水上都市は全体が画一的にコントロールされることなくそれぞれの部分で適宜手が加えられた。その結果、この街は部分の集合として有機的な形態を持つ街となり、その景観もヒューマンスケールで魅力的なものとなっている。景観としてこの街をより印象的にしているのは、街に網目のようにめぐらされた小運河、つまり水辺空間の充実だと思う。3・4階建ての建物に挟まれた狭い路地を歩いていると、不意に反り橋が現れる。その下に横たわる小運河と左右の広がりが与える変化が心地よい。逆にゴンドラに乗っているときは、ゲートのように反り橋をくぐり、自分がたどるライン(パス)と、たどらないライン(エッジ)が逆転する。この、パスとエッジの逆転はとても面白かった。さらに、ヴェネツィアでヒューマンスケールの街並みと対照をなすのは、サン・マルコ広場と大運河である。この大小の空間の対比・遷移が、それぞれの空間体験をより印象的なものにする。
 
■フィレンツェ■
ここは求心的なドゥオモと市庁舎・それに付随する広場が主骨格をなす、西洋の典型的な街である。しかし、ここはなんといってもルネサンスが花開いた街。ドゥオモもミラノのものと比べると華やかである。色彩も・フレスコ画もゴシックにはない特徴である。さらに、このドゥオモのドームの架構を考えたブルネレスキには感心する。直径45mのドームを実現するための構造・構法はそう簡単なものではない。推力をたがで閉めるというのも今では一般的だが当時としては画期的なものであっただろう。フィレンツェは、市街地から離れた丘の上のミケランジェロ広場からの眺望が抜群だった。テラコッタの赤で統一された街中の屋根、建て揃った家屋の中の中のドゥオモやヴェッキオ宮、アルノ川とそれにかかる橋々が景色のアクセントとなっている。
 
■ローマ■
ローマでは、ツアー中唯一の自由観光が半日ほどあった。そこで、数ある行きたい場所のうち、実現性なども考慮して、カンピドリオ広場・パンテオン・ナヴォナ広場へ行くことにした。ローマ三越からすべて歩いて回り、帰りはタクシーでホテルへ向った。ローマの街路はほとんどグリッド状になっていないので、散策しづらいのではという懸念もあったが、比較的すんなりとそれぞれの目的地にたどり着けた。というのも、今のローマのベースとなっている16世紀の都市改造があったから。当時の教皇シクトゥス5世は、バシリカをまわる巡礼路として放射状街路で広場などをつなぎ、広場の中央にはオベリスクを置いた。この放射状街路とオベリスクのおかげで、目的地へは経由地点を設定し、地点間の直線的移動でおおよそたどり着けた。楔形平面のカンピドリオ広場のタイル・パンテオンの内部空間のプロポーション・狭い路地に突如現れる、ナヴォナ広場の穏やかな雰囲気も良かった。
 
■カプリ■
ここはなんといっても青の洞窟。狭い入り口から差し込む光が水中で乱反射して、青く幻想的な雰囲気になる。状況によっては、洞窟の目の前まで来て中に入れないということも多々あるようなのでラッキーだった。カプリ島の斜面を這うように建っている家々や、スローで陽気な雰囲気も気持ちがよかった。

■ヴァチカン■
午後には帰国の途につくので、午前中だけの観光。ヴァチカン博物館に並び、システィーナ礼拝堂を見学した。個人的にはサンピエトロ大聖堂と広場の方が良かった。システィーナ礼拝堂は質素な外観とは対照的な壁画・天井画の装飾。約21mの天井高はコンクラーベなどの用途からすれば高すぎると思ったが、それよりもカトリックにおける教皇やコンクラーベの重要性や権威を考えると当然なのかもしれない。
 
 
全体を通じてつくづく思ったのは、どの街も永年の歴史を経てきた建築などのストックが日本に比べてあまりに多いということ。また、今も各々が使われ続けているというのが感心する。それまでの歴史の蓄積としての都市の姿は、景観を豊かに彩る。ストックの充実が街をより魅力的にしていると思った。

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