2007/11/04

イメージの中の観音寺




観音寺。小さい頃祖父母に連れられて何度か来た街。ちっくんたちが青春を過ごした街。9月のある日、母と2人その観音寺の駅に降り立った。そして駅近くの観光案内所でたまたま見つけたレンタサイクルで街を巡った。レンタサイクルといっても、2台ともかまきり形のハンドルで十分に年季の入った代物である。漕ぎ出すと、なにかおかしくなって笑ってしまった。

駅の北側・財田川の一帯をうろうろした。けれど地図を見ていてもどの道を走っているのかいまいちわからなかった。1つは観光マップの地図が大まかなもので、地図上にない道が何本もあるからだと思う。もう1つはそれと関連するが、道が鋭角に交わる交差点、目抜き通りがほとんどといって良いほど無いこと。わかりづらいがとてもおもしろい街だ。ちっくんは「当時(高校時代)観音寺にマクドナルドというものがなかった。今もない。」と言っていた。時代は変わり駅の南側にはgilsonが祖父母と行ったと思われるサティもできている。ちっくんの時代の観音寺はおそらく残っていないだろうと予想していた。だが予想に反してマクドナルドなど見当たらなかった、少なくとも自転車で駆け巡った一帯では。財田川沿いの風景はちっくんたちの時代となんら代わっていないようであった。夕日をバックに自転車で橋を渡るちっくんのシルエットが目に浮かぶ。

財田川の北側へ出て、気の向くままに自転車を走らせていると、レンガ塀が多く目に付くようになってきた。そのまま行くと出隅になった防波堤が見える。湘南でピンポンの舞台を巡ったときと同じく、台詞が浮かんできた。ちっくんが終身バンドリーダーに任命される場所である。防波堤に登ると穏やかな燧灘が見える。有明浜の砂浜も。

gilsonが持っていた観音寺のイメージは壊されず、むしろ鮮明になった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

大型商業施設は駅の南側に出来、駅の北側はあの時代を残しているように思えました。「青春デンデケデケデケ」の中で著者が書いていましたが、《かんおんじ》ではなく《かおんじ》と地元の人は言うと。確かにそうですね。
芦原すなおの近著「海辺の博覧会」が面白いそうですよ。昭和30年代、香川の海辺の町が舞台とか。有明海岸がきっと出てくるのでしょう。

hirottyan さんのコメント...

何歳の頃だったのでしょう。夏になると従弟のkちゃんと泊りがけで観音寺にある大叔父宅に行っていました。必ず駅まで迎えに来てくれていて、タクシーを下りる時「s産業につけといて」と言うのがカッコよくて。隣県の香川は風景が違っているのに気付きました。山が無い、土塀、大叔父の家の土間では沢蟹が這い回り、有線放送が連絡を流していました。近くの海岸でマテ貝を掘ったり。2泊目くらいになると蒲団の中でもう家が恋しくなっていました。ですが神戸から来ていたkちゃんも家に帰りたいだろうなとは思ってもみませんでした。
当時、街のどこかでチッくんと会っていたのかも知れません。