2008/01/11

創造するには

前回と同じブログより,この稿について。
実践となるとなかなか難しいのだが、確かにうなずける内容だ。建築設計に当てはめて考える。建築家(デザイナー)は人にもよるが、最初のコンセプトを考えるとき、また詳細を検討するときにいくつも模型を作ってスタディする。数百案(個)というのは、あながち間違いではないと思う。建築家のアトリエに無数の模型が山積しているのをよく雑誌などで見かける。
設計課題では、ことごとく考えられていない点を指摘されることが多かった。週に1度、エスキスといって、設計途中の図面や模型を先生に見せて指導を受けるのである。大して考えていないのに、自己満足なものばかり作っていた。無知の知がなくて自分では及第点ぐらいはあるつもりだった。
ある教授がこんなことを言っていた。「図面とはラブレターのようなものだ。夜中にこれだ!と思って、ハードライン(定規を使った線)で一気に描き上げても、翌朝見てがっかりすることがある。」多少なりとも設計をやっている身としては、なんとなく分かるような気がした。
研究の場合、実験にしろ解析にしろ、手探りでも良いからとりあえずやってみないとわからない。私はまだ調査的な研究しか行っていないので、あくまで印象でしかないが。

1 件のコメント:

hirottyan さんのコメント...

このお題は設計に限らない普遍的なテーマですね。つまり1.「書く(描く)ことこそが考えることである=書か(描か)れなかったことは考えられなかったと同じ」2.書かれた(描かれた)ものを視点の異なる複数の人にレビューしてもらい、それを客観にさらして外部性(強度)を与える。(このレビューがまたレビューされるのが面白い)。これで世の中ほぼOKです。(逆に言うと、この2つを通過していないものがいかに多いか)