2007/10/01

院試までの悶々とした日々

7月末に4年前期が終わり8月末までの約1ヶ月間、大学院入試の勉強に専念していた。教授はこの期間を「自己軟禁状態」と表現したと記憶している。まさにその通りだった。

朝8時には起き、朝食を摂って10時までには研究室の自分のデスクへ。あるいは9時半頃着いて研究室で朝食。どちらにせよ通学時にコンビニか生協に寄り、昼食を買う。それは、今年は特に暑かったので昼間に外に出たくないというのが一番の理由だった。暑かったといえば、就寝時エアコンこそ数回しか付けなかったものの、シャワーを朝・夜の2回浴びた。起きたときに気づく寝汗が気持ち悪かった。夕食も外食か弁当で済ませ、夜の10時頃帰宅。こんなに規則正しい生活は大学入学以来初めてではないかと思うぐらい毎日同じリズムだった。ただ、長時間研究室にいるだけで、メリハリのない勉強をしていたと反省している。3~4割の時間はうわの空だったのではないか。それも焦りの一因だった。

研究室に着くと、とりあえずPCを付け、帰るまで付け放し。見知らぬ先輩が残していった、要点や用語の説明をまとめたデータを閲覧したり、インターネットで調べ物をしたりするのに使う。データとして資料が残っているあたり、さすがは計算工学に長けた研究室だと思う。ただ、試験の勉強は紙とペンに限る。この1ヶ月で痛感した。紙とペンは人の思考を補助し、人は紙とペンによって頭の中だけでは行えない思考をスムースに行うことが出来る。コンピュータも基本的にはこれらと同じように扱うべきだ。さて、試験の勉強だが過去の問題を解くことがそのほとんどだった。最終的には7~8年ほど遡って解いたように思う。同じく院試の勉強で先輩が解いた物がバインダーで綴じられ、研究室の本棚にいくつか並べられている。これを適宜参考にしながら解いた。建築材料は、用語説明を50字や200字で要求する問題が毎年のように出ており、今年も出た。このために書籍を1冊購入し、マーカーで線を引いたり、そらでノートに200字書いたりした。1回では覚えられず、2回、3回と書きなぐった語句もあった。あとは関連する講義のテキスト・ノート・プリントを復習したり、要点をまとめたりということを行った。英語に関しては、単語嫌いもあってか、1ヶ月くらいで(専門ほど)得点の伸びは期待できないと観念していた。なので、過去問で雰囲気を掴む程度にとどめた。

この1ヶ月間、最初の頃はまだ良かった。勉強時に出会う「そういうことだったのか!」というある種の驚きと感動が、意欲を後押しする。やることもいっぱいある。時間的にもまだ差し迫っておらず、多少余裕を持つことができる。しかし、中旬以降来る日も来る日も暑苦しいのと同様に、勉強しか目の前に用意されていない。こんな日々は早く過ぎ去ってしまえばいいのにと何度思ったことか。その一方で、毎日毎日勉強しているのに、どれだけやっても終わらない、終わらせられない、そんな気になる。どれだけ時間があっても足りないとさえ思えてくる。それでも1つ1つをこなしていくしかない。この焦りと苛立ちは直前まで続いた。最後の2~3日はそれまでの勉強の総復習をした。今さら新しいことを覚えるよりも、今までの内容をより確実にしようと自分に言い聞かせた。

正直、大学入試よりも辛かった。建築学科の学部4年は40人弱。うち30人前後が大学院に進学。さらにそのほとんどがそのまま同じ大学の大学院への進学を希望する。gilsonも含め、他の大学院入試を受けない人ばかりである(他の大学院には2次募集というものもあるが)。外部からの受験者も今年は多くあったそうだ。もし、gilsonや他の内部の学生が落ちるということは何を意味するのか。公開処刑のようなものだといってもいいかもしれない。軟禁の後に待っているのが公開処刑とは、なんとも酷な話である。すでに所属している研究室に翌年以降も修士課程として所属することを誰もが期待している。もし不合格なら、その人たちに目に見えてわかる。大学入試はそうではない。見知らぬ敵との戦いであり、入学後所属するのもまだ見ぬ世界である。落ちても身の回りに知れるだけ。それに浪人と呼ばれる人はどこにでもいるくらいに落ちることは珍しくない。院試の方がより辛く、しんどかったのはこの違いだろう。

試験の日はカレンダーどおりにやってきた。試験前日、翌日もその翌日もその日までと同じく研究室で勉強をしているような気がしていた。その日まで繰り返してきた日常が次の日からも同じように繰り返すような感覚。試験日という実感は全くなかった。試験開始は9時で、その30分前から説明が始まる。7時半頃に研究室へ行き、朝食を摂った。8時過ぎに試験会場へ行く。思った以上に知らない人が多く、少し驚いた。そこから9時まで、心臓の鼓動が次第に速く、はっきりとするのが自分でもわかった。だがそれも9時まで。問題を解き始めれば、問題用紙に集中できた。2日間の日程の最後、13時過ぎの面接で退室しドアが閉じた途端、一気に力が抜けた。これでこの陰鬱な日々ともおさらばだ。残りの夏休みは遊びつくすぞ、と。でもその前に合否を聞かなくては。その日のうちに合否が決まるから。9月初旬に郵送で届く判定結果を待っても良いのだが、いち早く知りたければその日のうちに所属する研究室の教授の口から伝えてもらうというのが慣わしのようになっている。全員の面接の終了から見て結果が判るのは8時か9時だろうということで、研究室で待機していた。何をするでもなく自分のデスクのところに座り、改めて勉強に必要なものが揃った身の回りを見回した。ディスプレイの右側には過去問などを解いたノートやバインダー、それにA4以上の大きめのテキストが並べてある。背面の本棚にはA5以下のテキスト。デスクの一番下の引き出しには講義のプリントが、講義名毎にクリアファイルに入れられ、その背を上に向けて並んでいる。それから、何気なくPCを付けぼんやりとネットサーフィンをしていた。でも7時を過ぎたあたりから急に落ち着かなくなった。研究室のドアが開くたびに振り返った。教授が来たんじゃないか、と。ドアの音に過敏になっていた。8時前、教授は不意にやってきた。気づいたとき、教授はすでに部屋の中で、ドアは閉まっていた。gilsonや他のB4の合格の旨を伝え、教授は去っていった。その場にいたM1、M2の先輩に祝われながら、目元を拭っていた。「よかった、ほんとよかった。」そうつぶやいた。

その晩、「院試合格祝い」の居酒屋で飲んだビールはこの上なく旨かった。

4 件のコメント:

hirottyan さんのコメント...

*勉強漬けになった1カ月の夏の日々が率直に綴られています。「公開処刑」は恐怖でしょうね。しかし視点を変えれば、指導する教官も「受かってくれよ」と内心でヒヤヒヤだったと思います。院に行けば「外から来た猛者たち」がどんな人なのか興味深いですね。
*「外(自然)が見える窓」があれば、文章がより印象的になり際立ってきます。今回の記事で言えば、例えば、キャンバスに通う道々で見られる光景(自然、動植物の生態)が8月の初め頃にはこうだったのが、終わり頃にはこうなっていたなどです。
先日読んだ「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一)は「学術書」というより一級の「文学」として堪能できました。
*それと前回教えてもらった「ゲシュタルトのground & figure」というのは知りませんでした。これから少しだけかじってみます。ありがとう。

gilson さんのコメント...

来春以降,機会があれば「外から来た猛者たち」についても書こうと思います。
外が見える窓,参考にさせていただきます。
「学術書」が「文学」化するというのは面白いですね。建築史の講義中,教授が日本の建築構造の先駆けとなった論文を建築論として読んだと言っていたのを思い出しました。
ゲシュタルト心理学そのものには私も精通していないません。wikipediaでざっと読んだ程度です。

匿名 さんのコメント...

「蛍雪時代」という大学受験雑誌の「合格手記」を思い出した。「合格」という結果に結びついた「悶々」や「1ヶ月間の軟禁状態」が少し羨ましい。(当事者でないから言える無責任さを堪忍して)

1973年8月、「福岡、大阪、名古屋の高校教諭採用試験」を受験したが、実力も勉強も不足していた。秋になると、次から次に不合格の葉書が届き、「秋風が身にしみる」ということを実感した。勉強したことはほとんど覚えていない。福岡では地図を見ながら受験会場まで歩いて行ったこと、名古屋の知人の大学寮に泊めてもらった時、グランドの向うに夾竹桃がいっぱい咲いていたこと・・・忘れることの出来ない暑い夏の思い出だ。

gilson さんのコメント...

ё子さん、コメントありがとうございます。
同じ悶々とした受験勉強の日々でも、結果が違うと、その日々の受け止め方、印象は変わってくるのでしょうね。まるで思い出(記憶)の「色」は顧みる人の気持ちを映すかのように。